エヴァが終わった後の世界を、どう生きていこう。
というのがここ最近のテーマでした。そんなテーマへの答えも含めたエヴァの感想とかとかとか。
ちょっと前置き
「卵の緒」と言う小説があります。瀬尾まいこさんの短編?中編?小説で、あらすじは小学生の少年「育生」くんとその周囲の人達との人間関係の話。
達観しているお母さんとは血は繋がっていないし、お父さんはなぜかいないけど、父親候補のお母さんの恋人はいる。理由は不明の不登校の友だちもいたり、する。そんなお話。
今回はエヴァの感想なので細かなお話は読んで!と言う感じ。
良いお話です。愛のお話。エヴァもそうだけど。
愛すると言うことの、ありのままのお話。
「すごーくおいしいものを食べた時に、人間は二つのことが頭に浮かぶようにできているの。」
と言う言葉から始まる育生くんのお母さんの言葉があります。
「一つは、ああ、なんておいしいの。生きててよかった。もう一つは、ああ、なんておいしいの。あの人にも食べさせてあげたい。で、ここで食べさせたいと思うあの人こそ、今自分が一番好きな人なのよ」
このセリフを読んだ当時、この言葉というか考え方というか、そういう人の心の仕組があることに感動したのをハッキリと覚えています。
自分にも、そういう心の仕組みがあるということに気付けたのも。
本題
エヴァの物語を見終わったぼくは、いつからか、「さあどうしよう。」と言う状態になりました。
これまで楽しみにしていた、終わりがくるかどうかが分からなかった物語は確かに、究極のカタチで、ほとんど奇跡と言っていい煌めきとともに、幕を閉じました。
ここからはエヴァのない世界です。そいう人生がやってきたのです。自分自身の。
さあどうしよう。と言うことです。
色々考えました。見ないようにしていた不安についてとか、考えてもどうしようもないこととか、色々。
でも、シンジくんがせっかく作ってくれた世界です。
ぼくもぼくなりに、ようやく、この世界で「生きること」を手放さないことにしようと決意しました。それがここ最近の話。
エヴァには色々なテーマが散りばめられていると思います。
「生きること」をテーマにした描写もたくさんあったと思います。
ぼくが受け取ったエヴァで表現されていた「生きること」とは、じゃあなんだったのか。
生きることの原動力。「食べること」でした。
「序」「破」「Q」「シン」の全部で、シンジくんの食事のシーンがあります。
序ではミサトさんと、破ではクラスメイトの皆や加持さんと、Qでは独りで、シンでも独りじゃないけど一人で。
それぞれのシーン自体は、日常と非日常のコントラストとしての意味合いの方が強かったと思います。(シンは違うかも。)
ただ、この食事のシーンこそが、エヴァが持つ多くのテーマの1つのであろう「生きること」を表現していたと思っています。
序では、形式的でした。
「これから君とはこういうカタチでいくから。」というミサトさんの心構えみたいなものが見えると言うか、
食卓に並べられている食べ物は、温かいだろうけど必要に迫られたものだったり。
面識まもなく囲む食卓というところもあるだろう。少なくとも、あの食卓を通して2人の間の距離感に変化はなかったはず。
手探りな感じで、お互いでお互いの痛みに怯えていると言うか。
その距離感は、序の物語の中でその他の出来事も通じて良い方に転じていくわけですが、食べることはそこまで重要に取り沙汰されていませんでした。
破では、テーマだった。
海洋研究所のランチシーンやシンジくんが作るお弁当とそれを食べるアスカやミサトさん、
未遂に終わってしまったけど綾波が開こうとしていた食事会や、加持さんの作っているスイカ畑も含めて、
食べ物と、それを食べることを真っ向から描いていたんだと。使徒も0号機食べたし。
食事のシーンが多分に描写されているからこそ、破が持つ生きることへのひらいた雰囲気と、シンジくんを待ち受ける抗えない運命の緊張感が際立ったのかと。
Qでは、孤独でした。
破までの人の営みがこの世から根こそぎ奪われたことを象徴しているような描写になっていて、
それでもご飯を食べたシンジくんは偉いなと。カヲルくんの存在が一縷の望みだったと言うのもあるのかも。
(あのペチョペチョペーストは何味なんだろう)
シンでは、希望がありました。
そういえば、サマーウォーズで栄おばあちゃんがこんなことを言っていました。
「一番いけないのは、おなかが空いていることと、1人でいることだから」と。
シンジくんも、そうではいけないと[仮称]綾波に(アスカにも)思われたからこそ、その思いを受け取ることができたからこそ、レーションをガツ食いしたんだろうなと。
もう一度、この世界で生きていこうと、自分を取り巻く人々と、自分なりに関わっていこうと、シンジくんは食べることを選んだ。
大切な誰かへの思いの伝え方と、思いの受け取り方をそのとき知ったからこそ、
もう一度生きること選んで、もう一度自分の意志でエヴァに乗ることを選んだんだと思います。
よくよく考えてみたら、食べるとはなんとも不思議な行為だなと思います。
人が生きていく上で簡便にしようと思えばいくらでもできる行為で、身体を維持するために栄養を摂るだけなら、10秒なんたらとか、点滴とかサプリメントだけでもやろうと思えばやっていけるはず。
そもそも調理だって時間と労力が伴うにも関わらず、わざわざその工程を設けるのも不思議といえば不思議。
人の営みの中で、シンプルに極振りできることなのに、
その行為を、今でも僕も含めて多くの人たちが色んな工夫を凝らして続けている。
エヴァがなくなった世界でも、人生は続く。
大切な人たちと一緒に今日も生きる。明日も明後日も、引き続きしばらくは色んな事がありながら、そんな時間が続くだろう。
ダルいときもあれば、しんどいときも、めんどくさいときも、疲れるときもある。
ただ、どんなときでも、お腹は減る。
だからこそ、ぼくも引き続きこれからも、色々なものを、あんまり極力好き嫌いせず、食べようかと。生きるために。
生きることを続けようと思う。
また、誰かと一緒にご飯を食べることができるように。
おいしいと感じたときに、分かち合いたいと思い浮かべる人を大切にしながら。